日頃の言葉や思考が自分を作る

スポーツ界、そして日本中にショッキングな知らせがありました。
競泳の池江璃花子選手が昨日(2月12日)に白血病であることを
自身のTwitterで公表しました。

ご本人もまだ事実を受け止め切れていないようで、
本当に1日でも早い回復を祈るばかりです。

このニュースを受けて各方面からも
励ましや回復を願う声が出ている中、
オリンピック・パラリンピック担当大臣の発言が再び批判されています。

以下、記者団に対して語った桜田大臣の発言です。

「金メダル候補で、日本が本当に期待している選手なので、がっかりしている。早く治療に専念して頑張ってもらいたい。また、元気な姿を見たい。1人リードする選手がいると、みんなつられて全体が盛り上がるので、その盛り上がりが若干、下火にならないか心配している」

要するに、池江選手に対する心配よりも
オリンピックのことしか考えていない発言として、
多くの批判の声が上がっています。

まず私自身の考えとしては、
こうした言葉が出てくるのは残念でなりません。

桜田大臣と言えばこれまでにも自らの無知によって
多くの誤解や語弊を招く発言が相次いでいます。

特にセキュリティ関連の話は笑えない話で、(今回も当然笑えませんが)
今すぐにでも辞めてもらいたいと考えています。

しかし、残念ながら全てを決めるのは総理大臣。
いくら私たちが選挙で選んだ国民の代表である
国会議員の集団であっても、それ以上の役職を決める権利は
私たち国民にはありません。

また、政治家という仕事はあまりにも特殊過ぎます。
まさに国家権力が蠢く世界で、
私としては金銭がダイレクトに動く
経営者、起業家、実業家がいるビジネスの世界より
よっぽどたちが悪い世界だと考えています。

なぜなら、選挙で国民から支持を得なければ
なれない職業ですので、誰しも一度は国民に寄り添うからです。

これ以上は、辞めておきます。

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普段から使う「言葉」の重み

さて、今日はなぜこのテーマに関して書いたかというと、
私もこのようにブログという媒体を通じて
「言葉」を扱っていると言えます。

また最近ではYouTubeでも発信をしていますし、
自社商品を販売するにあたっても
多くの言葉を使って訴求します。

言わば「言葉」を使う職業とも言えます。

私に限らず、多くの人は何かしらの形で
言葉を扱う仕事をしているのではないでしょうか。

とはいえ、だからといって普段使わない言葉を使ったり、
全く別人格のキャラクターを演じることはなかなかできません。

俳優さんや女優さんのように、
それが仕事として与えられた役割でも無い限り、
人間はそう簡単に自分を変えることはできません。

要するに、普段自分が使う言葉や発信する言葉は
これまでの自分が使ってきた言葉になります。
あるいは、自分の思考があることで、
その思考に裏付けされた言葉が出てくるのではないでしょうか。

それは別に、必ずしも文法的に正しい必要があるとか、
誤字脱字があってはいけないとか、
そういった語学的な意味では無く、
「○○ということにどう思うか、考えるか」
と問われたときに、自然と出てくる言葉こそが
その人自身の言葉であり、
その人の思考だと考えています。

私とて、例えば街を歩いていて
突然街頭インタビューをされたら
上手く応えられる自信はありません。

しかし、こうしてブログに書いたり、
あるいはYouTubeも事前に構成を考え、
時には編集をしたりもできるので、
そういった状況では言葉を選んで発信できます。

一方で、政治家のように普段からメディアに追われ、
何かと発言が注目される立場の人であれば、
逆に一般人に比べてそうした機会が多いわけで、
実践の場がたくさんあるわけです。

政治家になりたての人が多少の失言をしてしまうのは
仕方ない部分もありますが、
長年政治家として仕事をしているにも関わらず
こうした発言しか出てこないのは、
普段からそうした思考でしか無いからです。

あるいは、そもそも思考停止、
何も考えていないのかもしれません。
まさしく「心ない」言葉ですね。

よく、失言や暴言があると
政治家としての資質が無い
大臣としての資質が無い
という批判がありますが、
そもそも資質云々の問題では無く、
失言や暴言はその人の
人間性そのものでしか無いと考えています。

政治家の資質が無くても血筋や資金で政治家にはなれます。
大臣の資質が無くても大臣になれます。

しかし、いくら人間性が良くても
政治家になれるとは限りません。

桜田大臣のことは、この辺にしておきます。
もちろん、到底容認はできませんが。

それよりも、自分自身の胸に手を当て、
自分だったらどのような言葉を使うのか、
どのように発信するのかを改めて考えた方が
よっぽど建設的ではないかと考えています。

日頃の思考が自分を作る

話は変わりますが、日本のプロ野球界は
いまキャンプの真っ最中です。

プロ野球のキャンプは選手たちが長いシーズンを
戦うための基礎を固める重要な時期です。

とはいえ、シーズン中のように試合が続くわけでは無いので
比較的和やかな雰囲気になることも多く、
またファンにとっては選手に近づける距離感が人気です。

今年も多くのファンが沖縄や宮崎などの
キャンプ地に出向いて練習を見学したり、
練習後に選手からサインをもらったりしています。

こうしたプロ野球のキャンプで話題になっていることが2つあります。

プロ野球選手のサイン転売

1つは選手のサインを転売する人たちがいることです。
実際問題、恐らくサインの転売は昔からあったとは思います。
しかし、昨今はメルカリなどの台頭もあって
転売がよりしやすくなりました。

ビジネスとしてヤフオクやメルカリを正しく使っている人は良いとして、
選手のサインという無形価値を転売(販売)して
稼ごうというマインドは残念でなりません。

また、買う方も買う方です。
私もプロ野球は好きなのでシーズン中は
ちょこちょこ観戦に行きますが、
選手のサインは正直あまり欲しいとは思いません。

仮にいただけるとしても、サインそのものというより、
選手に近づいて自分のためにサインを書いてもらえる、
というその体験、時間こそに価値があると考えています。

しかし、残念ながらそうした体験はさておき、
とにかくサインという「モノ」が欲しい人がいるからこそ、
メルカリなどに出品されている
本物かどうかも分からないサインにも
お金を払って購入する人がいるわけです。

買う人がいるから、売る人も出てくるのが本質です。

買う人がいなくなればサイン転売に価値は無くなり、
自然と売る人あるいは売る目的で
選手に近づく人もいなくなります。

国民的スター選手の災難

もう1つ話題になっていることがあります。

中日ドラゴンズに所属する「平成の怪物」こと
松坂大輔投手が練習後のファンサービス中に
ファンの一人から右腕を引っ張られ、
その後、右肩に違和感を感じて
コンディション不良となってしまった問題です。

私も長年プロ野球の情報を見ていますが、
このようなニュースは前代未聞です。

つまり、ファンからすればサインが欲しかったのか
写真を撮って欲しかったのか分かりませんが、
近くに来てくれた松坂大輔投手に対して
腕を引っ張って何かを要求したわけです。

仕事でもプライベートでも自分は自分

プロ野球の話題で言えば、
どちらも「心ない」ファンがしでかした
行動であり、ごく一部の人間ではあります。

しかし、そうしたファンがなぜそのような行動を取るのか?
と考えれば答えは簡単です。

サイン転売なら、言ってしまえばタダ同然でもらった
サインを売って稼ぎたいから。
という浅はかな思考

何がしたいのか理解できません。
稼ぎたいならやり方が違うし、
本当に要らないものなら
最初からもらう必要がありません。
※ヤフオクやメルカリで取引される商品の本質は
2通りしかありません。
個人規模なら不要品を売って現金化したい、
ビジネス規模なら需要のある商品を仕入れて
販売し利益を得る。
本来はこのいずれかしかありません。
サイン転売は恐らく後者ですが、
そもそもビジネスとして成立しません。

松坂大輔投手の件で言えば、
どうしても自分のところに松坂投手に
近づいてもらいたかったから、
という自分本位な思考

どうしても松坂投手に近づきたいなら、
人が少ないところを選ぶとか、
もっと言えば球団関係者や
報道関係者になれば近づくチャンスはあります。

では、こうしたマインドを持っている人が
果たして普段どんな思考で仕事をしているでしょうか?

例えば、あなたの周りで優秀な人や
尊敬できる人がいたとします。

その人が、こうしたことをすると思いますか?

恐らく、しないでしょう。
というより、そんな行動をしようとする
思考すら持ち合わせていないと思います。

逆に言えば、このような行動をする人は
プロ野球の話で言えば「プロ野球ファン」という
プライベートでの行動ですが、
結局のところ仕事になっても思考は変わらないでしょう。

誰がやっているのか分からないので特定、断言はできませんが、
少なくとも私は関わりたくないし、
一緒に仕事をしたいとは思えません。

冒頭の桜田大臣の発言もそうですが、
仕事は仕事、プライベートはプライベートと
自分を切り替えできる人
ごくわずかではないでしょうか。

それこそ俳優、女優さんや
スポーツ選手のような特殊な仕事、
あるいはオンオフが明確な仕事でない限り、
私たちは普段の思考が仕事にもプライベートにも直結します。

それが自分自身だからです。

今回ピックアップしたニュースを見たり聞いたりすると
残念でならないのはもちろんですが、
自分自身もこうした残念なマインドにならないよう、
普段から「言葉」や「思考」あるいは「信念」を
持って生きていきたいものです。

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